昨日は、なんでも縁起の良い日が3つ重なったとか。
とても良い春の日に鎌倉の浄智寺さまで、演奏会を無事に開催することが出来ました。
コロナウイルスの影響で演奏会の開催が難しかったここ数年。
久しぶりの開催を決めたものの、お客様は集まるのだろうか…ととても心配しておりました。
蓋を開けてみたらたくさんの方がお越し下さり、満席に。
お客様の集中力に助けられ、無事に盛りだくさんのプログラムを終えることが出来ました。
プログラム
J.Sバッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番
R.グリエール:ヴァイオリンとチェロのための8つの二重奏 Op.39
ヘンデル=ハルヴォルセン:パッサカリア
シベリウス:ヴァイオリンとピアノの2つの小品 op.77
ドヴォルザーク:ボヘミアの森より 森の静けさ Op.68-5 他
ラフ:カヴァティーナ
クライスラー:ロンドンデリーの歌
今回は、プログラムノートを書くのに相当苦労しました。
もちろん、有名な作品を取り上げずに裏テーマに沿って選曲した私のせいなのです。
自分で自分の首を絞めるパターン。
裏テーマはちょっと考えてみてください。訊いてくれたら答えます。
グリエールやハルヴォルセン、シベリウスは名曲なのにあまり名を知られていないので、
日本語の資料があまり存在しません。
ここに載せておくことで、誰かの役に立つかもと思い、公開しておきます。
ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)
「チェロの旧約聖書」と言われる無伴奏チェロ組曲をバッハが作曲したのは、彼がケーテンの宮廷楽長を務めていた1720 年頃と推定されており、当時彼は30代であった(ちなみに新約聖書と言われるのはベートーヴェンのチェロ・ソナタ)。バッハはこの時期に「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」「無伴奏フルートのためのパルティータ」も作曲しており、彼の関心が独奏による楽器の表現に向いていたことが伺える。
無伴奏チェロ組曲の価値を世に知らしめたカザルスは、バッハについてこう言い残している。
「バッハーあの『大先生』ーこそ、ありとあらゆる感情を身につけている。愛らしい、悲劇的な、激しい、詩的な…。いつも魂と心と表現が一体である。」
組曲とはバロック時代に数多く作曲された一連の舞曲のことであり、無伴奏チェロ組曲における舞曲の種類や並び方は当時の作品としてごく一般的なものである。
第 1 曲のプレリュードは、組曲の性格を表す序曲のような位置づけ。
第 2 曲のアルマンドは「ドイツの」という意味の舞曲。
第 3 曲のクーラントは快活な舞曲(語源はフランス語の「走る」)。
第 4 曲は16世紀頃のスペインやラテンアメリカに起源を持つとされる、
サラバンド(スペインでは「官能的すぎる」という理由で、この舞曲を国王が踊ることを禁止したという話も残っている)。
第 5 曲のギャランテリ(終曲の前に挿入される舞曲)はメヌエット。ⅠとⅡの対比が美しい。
第 6 曲のジーグは8分の6拍子の活発な舞曲。
ジャン・シベリウス(1865-1957)
シベリウスは後期ロマン派から近代にかけて活躍したフィンランドの作曲家。同国が帝政ロシアからの独立を勝ち得ようともがく最中、音楽を通じて愛国心を高めたと評されることが多い。
本作品が書かれた1914-15年は、シベリウスの生誕50周年の祝賀行事が計画されており、彼はそこで初演するために第5交響曲を作曲している時期であった。
一方で第一次世界大戦の影響で楽譜出版社との関係断絶が起こった時期でもあり、シベリウスは経済的に困窮を味わってもいる。
そのような状況にも関わらず、シベリウス自身はすでに第6交響曲の構想を練り始めており、また二番目のヴァイオリン協奏曲を作曲する意図をドイツの出版社に伝えている。1917年にはフィンランドを支配していたロシアで革命が起こり、フィンランドも右派と左派に分かれて不安定な状態が続いた。
結局その後、シベリウスは前述のヴァイオリン協奏曲第2番を始めとした協奏曲を書くことは無かった。
しかしその構想は第5交響曲に反映され、以降は交響曲の他には小品や歌曲などを中心に作曲するようになる。
今回演奏するOp.77は、国や戦争に翻弄されながらも自身の芸術のあり方を見つめ直したシベリウスの、深い内面が反映された作品である。
交響曲第6番と同じように教会旋法が用いられており、そのメロディーの随所にシベリウスの敬虔な信仰が伺える。
オリジナルはチェロとオーケストラの作品。
ヨハン・ハルヴォルセン(1864-1935)
ハルヴォルセンはノルウェーの指揮者、ヴァイオリニスト兼作曲家。
同国の有名な作曲家といえば「ペール・ギュント」などを作曲したエドヴァルド・グリーグで、彼はロマン主義的な国民楽派の伝統を発展させた華麗な管弦楽法を特徴とする作風で数多くの名曲を作曲した。
ハルヴォルセンはグリーグの義理の甥であり、グリーグとも親交があった。
ハルヴォルセンはノルウェーの民族音楽の伝承にも尽力し、グリーグから紹介されたハルダンゲルフィドル(ノルウェーの民族楽器のヴァイオリン)の演奏家クヌート・デールから、民族舞踊のレパートリーを聞き取り、それらを基に数多くの作品を残している。
今回演奏する作品は、彼のそのようなパーソナリティが色濃く反映された、楽器の特色を余すこと無く用いた作品である。
オリジナルはヴァイオリンとヴィオラのための作品であり、初演ではハルヴォルセン自身がヴィオラを演奏した。
バッハと同い年の作曲家ヘンデルのハープシコード組曲第7番HWV432の第6曲パッサカリアを基に、変奏曲(一つの主題を様々に変奏して作曲する技法)形式で作曲されている。
アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)
チェロ協奏曲や交響曲第9番「新世界より」など、有名な作品を多数作曲したチェコの作曲家ドヴォルザーク。
今回演奏する「森の静けさ」は、もともと1883年に出版されたピアノ曲集の中の一つの作品であり、それを作曲者自身がチェロとピアノもしくはオーケストラのための作品に編曲し直されたものである。
この時期のドヴォルザークは当時活躍していたヨーロッパからアメリカへ渡る直前であり、1892年に行われた彼の渡米演奏会では、彼が有名なチェロ協奏曲を献呈したチェリストのハヌシュ・ヴィハーンとピアニストのフェルディナント・ラハナーによってこの作品が演奏されている。
ドヴォルザークの渡米後の作品である交響曲第9番は、彼の故郷ボヘミア的な響きやリズムと黒人霊歌の持つそれとが融合した作品になっている。
グリエール
旧ソ連(ウクライナ)の作曲家グリエールは、生前多くの劇場音楽を作曲したが、現在その作品の中で再演されるものや音源が残っているものは少ない。
有名な「ロシア水兵の踊り」の含まれるバレエ音楽「赤いけしの花」(Op.70)はソビエト連邦初のバレエであるが、今日では上演される機会は殆どない。
ロシア革命以降のグリエールは、国外に亡命する音楽家が数多くいる中でも国内に留まり、祝典序曲や戦争序曲などを創作し続けた。
彼の作風は、当時の世界的な潮流であったモダニズムに傾斜することなく後期ロマン派の手法にとどまり続け、
その結果スターリン治下のソ連において、社会主義リアリズムの模範的作曲家とみなされることとなる。
また、グリエールは1938年から1948年まで、ソ連作曲家同盟組織委員会の議長をつとめた。
そのような評価から、彼はソ連の権力の要請に応え、ソ連の音楽文化の構築者としての地位を確立した最初の大作曲家の 1 人であると言われている。
しかし実際のグリエールは、音楽において非政治的で保守的であった。
彼は、初期のソビエト連邦のさまざまな音楽政治グループにほとんど参加していなかった。
当時のグリエールは議長を務めてこそいたが、若いソヴィエト連邦の政治的文化組織で従属的な役割しか果たさず、政治に関心がないことで繰り返し批判されていた。
グリエールの作品の制作された年を比べてみると、ロシア革命以前は歌曲や室内楽を数多く手掛けていることに気づかされる。
そして、初期の作品を聴いてみると留学先のドイツの後期ロマン派の音楽の影響を色濃く受けていることも感じられるだろう。
芸術家が時代や社会の影響を受けることは必須であるが、グリエールがロシア革命を逃れてもっと多くの室内楽作品を作っていたらと願わずにはいられない。
今回演奏するOp.39はグリエールがベルリンから戻り、モスクワのグネーシンで教鞭を執っていた時期に作られた作品で、当時彼が作曲法を教授していたヴァイオリニストBoris Kaliushnoに献呈されている。
親しみやすい旋律の小曲が並ぶ、アラカルトのような作品である一方で、弦楽器の響きを知り尽くしたグリエールならではの、奏者に高度な技術を要求する作品である。
フリッツ・クライスラー(1875-1962)
クライスラーはオーストリア生まれのヴァイオリンの巨匠として今も名高く、また「美しきロスマリン」などの作品が有名な作曲家である。
ユダヤ系のオーストリア人だが後にアメリカ国籍を取得し、以後アメリカに住み続けた。第二次世界大戦の時にアメリカに渡ったユダヤ系の音楽家は数多くおり、彼らの存在はアメリカの音楽界の発展に寄与している。
今回演奏するクライスラー編曲のロンドンデリーの歌(現在は北アイルランド問題に配慮してダニーボーイと呼ばれることが多い)は、彼の手によって「 Farewell to Cucullain」という題名がつけられている。
Cucullain(クフーリン)というのはアイルランドの英雄の名前で、今でも同国では親しまれている人物。
古今東西多くの編曲が存在するロンドンデリーの歌だが、本日演奏する編曲は、和声の進行がとても美しい編曲となっている。
ヨアヒム・ラフ(1822-1872)
スイス及びドイツの作曲家、ピアニスト。
リストの助手として初期のリストの作品のオーケストレーションを手掛けていたこともある。
ラフの作品は自然を標題にしたものが多く、その一方でベルリオーズやリストが新たに生み出した標題音楽にとどまらず、古典的交響曲様式との共存を模索している。
今日では演奏機会の少ないラフの作品だが、1870年代から80年代にかけてはモスクワとサンクトペテルブルクで頻繁に演奏されており、
ロシアの作曲家チャイコフスキーはラフのオーケストレーションを評価しまた影響を受けていたという記述も残っている。
本日最後に演奏する「カヴァティーナ」は、1859年に発表したヴァイオリンとピアノのための「6つの小品」Op.85の中の3曲目の曲であり、今日では単体で演奏されることのほうが多い作品である。
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