昨日聴いたコリン・カリー・グループのライヒの余韻が身体から抜けきらない。
私は長距離飛行機の上では決まってライヒ...とくに「18人〜」を聴く。
霜の降りた冷たい車窓(飛行機窓?)に頰寄せ眺める、
雲間に沈む日の光、生命の存在の隙を与えない山脈。
それらを眺めている時に味わう自分が溶けていくような感覚と、
ライヒを聴いている時に感じるそれは、
とてもよく似ている。
昨日、その音楽が生身の人間によって目の前で再現された時に感じたものはそれとは全く違っていて、当たり前なのだがとても有機的だった。
だからこそ新曲を聴いた時には解釈に疑問を持ったし、非常に傲慢だがアンサンブルやPAに満足のいかない箇所もあった。
もちろんそれぞれに見事だったし指揮も面白かったし1曲目のダブル・セクステットのバンド感も興奮したけれど。
なんか休憩中は色々考えてしまった。
でも後半、18人〜で究極のアンサンブルの形を目の当たりにしたとき、私は色んな分析が吹っ飛ばされるくらい胸がいっぱいになってしまった。
あの舞台上で、音の裏側で為されている高度なコミュニケーションに、人間の本質を見たような気がしてしまった。
綿密に張り巡らされた見えない糸を誰かが引くと、それに呼応してアンサンブルが変容する。しかもそのアンサンブルは肉体なくては成立し得ないものなのだ。
精神は響きの中に溶けていく。
最後に残る部分は肉体なのだ。
その肉体を演奏に捧げる、ある種のシャーマニズムを感じる行為。
冷静に考えたらマラカス舞台の中央で乱れることなくずっと振り続けるなんておかしな行為出来ないって。
パルスから解放された瞬間に飛び立とうとする管弦隊も愛らしい。
それを引き止めようとするコリンの表情に少し笑ってしまった。
精神は溶けていくが無くなるわけではない。
世界の隅々まで広がって、そして収斂していく。パルスの中に。
感受性の乏しい私はアスリートに感動した経験が殆どない。
ただ、昨日感じた心の動きは、万人が感じるらしいそれに近いものだった気がする。
スタンディングオベーションなんて出来ないくらい、四肢が溶けてた。
でもジンジンしてた。
それは私の胸の鼓動なのだ。
そしてそれは筋肉なのだ。万歳!筋トレしよう。
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