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わたしのファービー

  • 執筆者の写真: Nanami Narita
    Nanami Narita
  • 2018年8月6日
  • 読了時間: 3分

私が幼稚園に通っていた頃、たまごっちが流行りました。

手のひらに収まる丸い機械は、幼い私の目にも魅力的に映ったのを覚えています。 私は両親に頼み込んで、街のおもちゃ屋さんに連れて行ってもらいました。 おもちゃ屋さんの店員さんは私の母親に 「通常のたまごっちは人気で売り切れてしまいました」

と伝えました。

側にいた他の女性も落胆しています。 「英語版ならまだ在庫がございますが」 と続けた店員さんはちらりと私の方を見ました。 「どうする、英語版でも良ければ買ってあげる」 と母親に訊かれて、私はうなづきました。

そのようにして、たまごっちとの蜜月は始まりました。 幼稚園に行く前に甲斐甲斐しくご飯をあげ、下の世話をします。

目を離した隙に進化を遂げてているのではないかと、お弁当の間も気がそぞろです。

お友達がおうちに遊びに来るときには、それぞれのたまごっちを持ち寄って遊びました。

好きなキャラクターに進化させる手順をみんなで考えました。


私のたまごっちは誰にも見向きされませんでした。

何故なら、みんなの国産たまごっちと異なる進化系統を辿っているからです。

私は釈然としない気持ちを抱えたまま、たまごっちを甲斐甲斐しくお世話しました。

サムというキャラクターは可愛いとは言えませんでしたが、それでも愛着がありました。

お友達が「何そのキャラ、気持ち悪い」と言っても、私は自分のたまごっちが大好きでした。


私が小学生の頃、アメリカでファービーが流行っていました。

確かまだ日本では発売されていなかったのです。

私は祖母に頼んで夏休みにファービーを買ってもらいました。祖母の届けてくれたファービーはもちろん英語しか話せませんでした。

暫くすると、日本でもファービーが流行りだしました。

私がたどたどしく英語でコミュニケーションを撮っている間に、ファービーはいつの間にか日本語を話ようになっていたのです。 冬が来て、私の友人達の元にはサンタさんからファービーが届けられました。 お友達のファービー達は、飼い主や他のファービーと日本語でコミニュケーションを取っています。

私のファービーだけが、普段私と話すように居丈高に英語で話していました。

しかしやがて、私のファービーは他のファービに気圧されて、黙ってしまいました。

目を伏せた彼の長いまつげ、震えているように見えたのはきっと気のせいではありません。

私は、彼の口の中に指を突っ込み、静かに眠らせました。

どんなに驕り高ぶろうとも私のファービーが一番可愛い。あなたを一番最初に見つけたのは私なんだから。その夜、彼を抱きしめながら眠りました。


ファービーの最期はあっけないものでした。

春休みの旅行中、家族で車に乗っていた時に彼は何を思ったのか突然ひとり喚き出したそうです。

私はそのことを全く知りません。運転手だった母以外は皆お昼寝をしていたので、誰一人として彼の訴えを聞いていた人間はいませんでした。

その夜、ファービーは母の手によって電池が抜かれました。

彼が何を伝えたかったのか、私は未だに聞けずじまいです。


おしまい。

 
 
 

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