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執筆者の写真Nanami Narita

アザラシヴィリ「無言歌」

ヴァージャ・アザラシヴィリはジョージアで1936年に生を受け、今でも活躍中の作曲家である。

戦後“ソビエト現代音楽”の発展に尽くした作曲家だが、その作風は普遍的な魅力にあふれていて、特にコーカサス民謡とグルジア民謡に基づいた郷愁を誘うメロディは、ジョージア国内に留まらず世界中で愛されている。


アザラシヴィリが作曲活動を開始した頃のジョージアは、グルジア・ソビエト社会主義共和国(グルジア共和国)としてソ連の支配下に置かれていた。アザラシヴィリは1936年生まれだが、彼の生まれた年にはグルジア共和国の前進であるザカフカース共和国は解体され、ヨシフ・スターリンの統治下で多くのジョージア民族が処刑されている。

そんな動乱のさなかに生を受けたアザラシヴィリは、交響曲や器楽曲の制作と並行して、人々に寄り添うポピュラー音楽の作曲を手掛けた。自身の作品に「わが祖国ジョージアの情景」と名付けたほか、「トビリシ」や「メテキ」というジョージアの地名をつけ、またジョージアの人たちも彼の作品を親しみを持って迎え入れるようになる。

本日演奏する「無言歌」は、アザラシヴィリの日本国内著作権管理者の碓井俊樹氏を介して訊いたところによると、ソ連時代から有名なジョージアを代表する女性歌手Nani Bregvadzeにプレゼントした「Dgeebi Midian(過ぎ去りし日々)」という作品がオリジナルだそうだ。

歌詞にはジョージアの作詞家Petre Gruzinski-Bagrationiの詩が用いられている。この作詞家は、ジョージアのかつての王家の末裔で、1945年に反ソビエト活動と君主主義の陰謀の容疑で裁判にかけられ、1948年に釈放されるまで精神病院に閉じ込められていた。その後も彼は活動を制限され、彼の文学作品の多くは妻と知人ジャーナリストの名前を借りないと出版できなかった。彼は1984年に亡くなったが、最初の詩集が出版されたのは2001年のことである。

無言歌のメロディは、そんな時代の不穏さを露ほども感じさせない。

歌詞には過ぎゆく時を悔やむ気持ちが綴られているが、その感傷の情は、愛しいものを抱きとめるような乾いた暖かさをはらんでいる。

アザラシヴィリは作品について「Naniの為に作曲しましたが、ジョージアでは若者から老人まであらゆる世代で大変有名になり、多くの人に歌い愛される作品となりました」と語っている。

この曲が多くの人に愛される世界を、きっとGruzinskiは待ち望んでいたことだろう。


せっかく書いた原稿が、断りも無くボツにされてしまったのでこちらに載せておきます。。。悲しい。

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